アメリカの学校、実際に通わせてみてわかったこと
アメリカの学校教育については、日本でいろいろ言われている。「学力が低い」「現場が荒れている」「予算が足りない」など、ニュースで取り上げられるのはだいたい暗い話だ。レベルがどうこうという議論はさておき、現場を息子越しに見ている範囲では、自分はそこまで悪くないと思っている。特に息子のような子にとっては。
学期が短いからか、反復練習が少ないからか、全体としては適当な感じもする。けれど、別の言い方をすれば、無駄がない、とも言える。
たとえば中学校の音楽。選べるのは吹奏楽(バンド)、オーケストラ、合唱、ギター、弾きたくない人は音楽全般の授業で、そのうちのひとつをやる。それだけ。興味のないことはやらない、という前提に立っている。日本の中学のように、全員が一通りリコーダーを吹いて合唱コンクールに出て、というような共通体験を作るやり方とは違う。
数学も英語も社会も理科も、骨格のところは押さえる。読み書き算数理科を一定のところまで知っておいてね、というのが幹で、それ以外は自分の好きなものを選んでください、というスタイルだ。自分がアメリカの大学にいた頃の授業の組み立てと、ほぼ同じ構造になっている。中学からこの形に慣れさせている、ということなのだと思う。
これがすべての子にいい、とは思わない。「自分で選ぶ」が前提の仕組みなので、興味の方向がはっきりしている子には合う。逆に、まだ何が好きかも分からない子にとっては、選択肢が多いだけで足元がふらつく仕組みでもあると思う。そこで、中学から学年ごとにスクールカウンセラーがついて、カリキュラムを個々の希望と能力に合わせてくれて組んでくれる。
息子の場合は、好き嫌いがはっきりしていて、興味のないものに座って耐える、というのがとにかく苦手な子なので、この仕組みはわりと合っている。日本の中学のスタイルだったら、たぶん毎日地獄だったと思う。好きなことをやる時間があるから、嫌なことも耐えられる、という感じだろうか。
とはいえ不満がないわけでもなくて、息子に言わせると、数学は進みが遅すぎてつまらないらしい。いちおう二学年上の内容を扱っているクラスではあるのだけど、それでも本人にとっては物足りないようだ。ただ、中学のうちから高校の単位を先に取っていける仕組みになっているのは、ありがたいと思っている。「合っていない部分」も、制度の中で多少は逃げ場が用意されている、という言い方ができる。
ちなみに息子が通っているのは、学区内の指定校ではなくて、公立のマグネットスクールだ。日本でいうと、公立だけど学区を越えて、特色のあるカリキュラム目当てに集まってくる学校、というイメージが一番近い気がする。専門的な内容が多くて、宿題の量もそれなりにある。これだけ書くと大変そうだけど、本人にとっては「興味のあることを多めにやれる場所」なので、嫌そうにはしていない。むしろ、これくらいの負荷をかけておく方が、その先の高校・大学のしんどさに耐える練習にもなるのだろう。
もちろん、いいことばかりではない。マグネットでも、授業中に教室で大麻を吸い出した子がいた、みたいな話はちょいちょい耳に入ってくる。応募抽選を経て入る学校でこれなのだから、学区内の普通の中学はもっと荒れていてコントロールが大変なのだろうな、というのは想像がつく。学校側も、安全な環境を維持していくのはなかなか大変そうだ。
「アメリカの教育は遅れている/進んでいる」という話は、一括りでは語れない。少なくとも、合う子には合う作りになっていて、息子はそのひとりだ、という話だった。