入園2ヶ月で、幼稚園を追い出された
「アメリカは制度があって日本より進んでいる」というような語り方を、日本のメディアでときどき見かける。発達障害の特集自体はこの数年で日本でもずいぶん増えたけれど、ギフテッドや2Eまで含めると追いついていない、という比較の文脈で出てくる。たしかにアメリカに制度はある。ただし、その制度に自力で辿り着くまでに何が起きるかは、あまり語られない。
息子が最初に通ったのは、モンテッソーリのプリスクールだった。個別性を尊重する、子どものペースに合わせる、という方針なら、息子にも合うかもしれないと思って選んだ。半年は持たなかった。
当時の息子には感覚過敏があった——今ならそう説明できるが、当時はその言葉も知らなかった。スライム、ペンキ、砂のようなドロっとした素材は触れない。モンテッソーリの教室には水や粘土を使う教材が多いので、本人にとっては地雷だらけだった。
トイレも苦手だった。便器の水が流れる音がだめで、家でも公共のトイレでも、流れる瞬間に泣く。園のトイレに行くたびに、行きたくないと泣き止まないということが続いた。ポティトレーニングも半端な状態のまま入園することになっていて、昼寝の時間にほぼ毎日おねしょをした。わざとやっているんじゃないかと疑いたくなるくらい、毎日。今思えば、感覚処理に課題がある子にはトレーニング自体がそもそも難しかったのだろうけれど、その時はそこまで頭が回っていなかった。
園からは「お母さん、家でも対策を」と何度も言われた。アメリカのプリスクールは昼寝の寝具一式を親が用意するので、毎日、濡れた昼寝セットと使い切った着替えを持ち帰ることになる。要するに、園としては衛生面で濡れた寝具をその場で扱うのが面倒、ということだったのだと思う。こちらも申し訳なくて、家でやれることはやったが、結果は変わらなかった。
しばらくして、お友達に手を出すことが時々出てきた。噛んだり、押したり。これは保育の現場でいちばん嫌われるやつで、ある日、園長から「これ以上はうちでは見られません」と切り出された。堪忍袋の緒が切れた、というのが、たぶんいちばん正確な表現だと思う。
辞めると決まった最後の日に、担任の先生が私の方に来た。園長や補助の先生たちとは少し距離を置いた言い方で、「余計なことかもしれないけど」と前置きしてから、「一度、Speech Pathologist(言語聴覚士)に診てもらった方がいいかもしれない」と言った。
正直、その時はピンとこなかった。息子は喋らない子だったけれど、私はそれを「そういうタイプもいる」「もう少しすれば喋る」くらいに受け止めていた。Speech Pathologist という言葉自体、知らなかった。
ただ、追い出していく園の中で、一人だけ別のことを言ってくれた人がいた、ということは、頭の片隅に残った。家に帰って Speech Pathologist という言葉を検索したのを覚えている。
ここから、評価を受けるまで、療育に辿り着くまで、長い道のりが始まる。ただ、その入り口を教えてくれたのが、追い出した園の担任の先生だった、というのは、後から何度も思い返すことになる。