日常のこと
追い出された翌日から、どこに預けたか
二つの園を立て続けに出てから、息子を受け入れてくれる「プリスクール」と呼べる場所は、なかなか見つからなかった。
最終的に落ち着いたのは、幼稚園というよりは託児所、という感じの場所だった。教育方針みたいなものを強く打ち出しているわけでもなく、毎日のカリキュラムがしっかり組まれているわけでもない。子どもを安全に預かる、というところに振り切った場所、と言ってもいいと思う。
不思議なことに、そういう所では呼び出されなかった。立ち歩いても、手が出ても、おねしょをしても、特に大きな問題にはされない。たぶん、一人ひとりをそこまで細かく観察していない、というのが本当のところだと思う。良くも悪くも。
これがすごく息子のためになっていたか、と言われると、そういうわけでもないと思う。ただ、追い出されないというだけで、こちらの精神的な体力はかなり助かった。「明日何を言われるか」を朝から覚悟しなくていい毎日は、それだけで違った。
預け先が空かない時期はシッターを頼んでしのいだ。アメリカに頼れる親族はいないし、当時の夫は夜勤で午後にならないと起きてこないので、平日の昼間に動ける大人は実質、私一人だった。私は会社員として働いていたので、朝のミーティング、午後の会議、急な発熱、その全部に合わせながら毎週のように預け先を組み替えていく、ということをやっていた。今思い返してもよくやっていたなと思う。