教育

「この子、何かが違う」と先生が先に気づいていた話

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ある日、息子の担任の先生から、「Highly Giftedのテストを受けてみては」と打診された。

正直に書くと、私はそこまで気づいていなかった。GATEには入っていたし、3年生のIQテストで143という数字も出ていたのだけど、その先にもうひと段階のレイヤーがあること自体、あまり意識していなかった。先に動いたのは、私ではなく先生のほうだった。

Highly Giftedのテストは、GATE判定のための一斉テストとは別物で、一人に3時間かけて受ける。先生の推薦がないと、そもそも受験までたどり着かない。

結果は、選ばれなかった。

テストには言語のセクションがあり、言葉の遅れがあった息子は、そこの点数が基準に届かなかった。総合では足りていたのかもしれないけれど、内訳で引っかかった、ということだ。2eの子は、ギフテッド側の入り口でも、こうやって弾かれる場面がある、というのを地味に体験した形だった。

ただ、選ばれていたとしてもそんなに何かが大きく変わったわけでもないだろう、というのも正直なところだ。Highly Gifted向けの何か特別な手厚いプログラムが用意されていたわけではなく、強いて言えばラベルがひとつ増えていた、という程度の話だと思う。

それより印象に残ったのは、こっちが気づく前に、先生のほうが「この子、こういう道もあるよ」と気づいて声をかけてくれた、というほうだった。

思い返すと、最初の気づきも、先生からだった。

息子が以前追い出された幼稚園にいた先生から、ずっと後になって聞いた話によると、息子はあそこで「頭のいい方のクラス」にいて、そこでもかなりできていたらしい。それが、息子に学力がありそうだと知った最初のサインだった。

小さい頃からパズルが好きで、すいすい解いてしまうのは見ていた。でも、それと「学力」というのが、当時の私の中ではうまく結びついていなかった。なにしろ、相変わらず家ではほとんどしゃべらない。言葉は出るのだけど、二方向の会話にはなりにくい。そんな子が「クラスでできるほう」と評価されているなんて、自分からは想像が及ばなかった。

親が一番その子を見ているはずなのだけど、たぶん近すぎて見えない部分も多くて、こういうところは、第三者である先生たちのほうが解像度高く見えていたりするのだな、と思う。

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