会話が途切れても、平気らしい
新学期が始まった。前の学年でやっと仲良くなった子は、一人も同じクラスにいない。ランチの時間も違う。つまり、一緒に食べる相手がいない。
しばらくは、一人で弁当を食べていたらしい。またふりだしに戻ったか、とがっかりした。中学は教科ごとに顔ぶれが入れ替わるから、放っておくと関係が育つ前に次の時間になってしまう。そのことは別の記事にも書いた。
ところが最近、なんとなく一緒に食べる子ができたようだ。どういう経緯でできたのか聞いてみると、もちろん、相手から話しかけられたらしい。息子から動くことは、まずない。
その子も、仲のいい友達とはランチの時間がずれているのだという。同じ境遇の二人が、たまたま同じ時間に余っていた、ということらしい。本人に言わせると「そこまでの友達ではないけど、まあ一緒にいる」くらいの関係だそうだ。それでも、こちらとしては一人で食べているよりは誰かと食べてくれているほうがいい。
ふと気になって、聞いてみた。会話が途切れた時に、何か話さなきゃ、とか思わないの。
まったく思わないらしい。
こちらが勝手に想像していた「気まずい沈黙」というものが、息子の中にはないのだと思う。間が空いても、それを埋めなければならない何かとして感じていない。おそらく、そういう雰囲気そのものを察していないし、空気も読んでいない。
それを聞いて、友達に挨拶をしないという話の理由が、少しわかった気がした。
IEPには、その挨拶の目標が入っている。「お友達にHiと言う」という、とても単純なやつだ。言われた通りにやること自体はできるのだろう。ただ、なぜそれをするのか、そこにどんな意味があるのかが本人の中で結びついていない限り、あれは意味のわからない動作を毎日繰り返させられているのと変わらない。結構、苦痛なのではないかと思った。
沈黙が平気な子に、沈黙を埋める必要を教えるのは、たぶん順番が違う。まず、そこに埋めるべき何かがあるという感覚のほうが先にあって、それは目標に書いて練習させれば身につく類のものではない気がする。
とりあえず、今は一緒に食べる相手がいる。向こうから話しかけてくれた誰かのおかげで。それだけでも、息子にとっては大きな前進だと思う。